Test Piece

 朝、目を覚まして真っ先に見るメディアは新聞だった。それがやがてテレビへ、スマートフォンへと変化していった。
 通勤のための移動中、昔はラジオを聞いていたことがあった。それがカセットテープへ、MDへ、ウォークマンへと変化していった。今はBluetoothのワイヤレスイヤホンを愛用している。
 インターネットの普及とともに、人々のコミュニティも大きく様変わりしていった。平成の始まりとともに生まれた千春は、個人サイトやニコニコ動画の栄えた時期を青春として過ごした。友人とEメールでつながり、トグル入力でメッセージを打ち込んでいた。キャリアによって使える絵文字に差があることに怒ったり、いくつも重なっていくRe:の文字に喜んだりした。通話専用のPHSを持っていた友人もいた。昔の話だ。
千春は父親の影響を受け、幼少期からパソコンを触っていた。プログラミングなどの専門知識はからっきしだが、ネットサーフィンには慣れ親しんでいた。好きな漫画やアニメ作品の活発なファンサイトを見てきた。いくつものSNSが生まれては消えていく様を眺めてきた。今はTwitterを活動拠点にしている千春は、なぜ人々がTwitterを使い続けるのかに疑問を抱きながらも、それでもこの息の長いサービスを使い倒していきたいと考えていた。

 平成という一つの時代が終わりを迎えようとしていた。

 インターネットの流行り廃りは目まぐるしい。たった1クールのアニメが両手両足の指をすべて使っても数えきれないほど放映され、次々に立ち現れるソーシャルゲームのイベントを走ってはガチャに散財し、それでいて定期的な“祭典”に向けて長期的な準備を強いられる。いつからこんな生活になったのか最早定かではないが、それでも千春はほどほどにインターネットと付き合いながら日々を過ごしていた。
 昔から漫画は読むのも描くのも好きだった。描き始めの頃の作品は直視できないほど酷いものばかりだったが、時間の経過とともにある程度の技量は身についた。だが、漫画家になるつもりは全く無く、今も時々趣味で描く程度に落ち着いている。

 百合というジャンルが近年急に勢力を拡大している。昔は「間に挟まりたい」という勢力と百年戦争をしているだけのジャンル、という程度の認識だった千春は、なんとなくこのジャンルに興味を持っていた。百合であれば男を描かなくてもよい、という点が千春にとっては魅力的だった。

 百合の作品については何もしなくてもTwitterで回ってくるし、また百合作品を専門とした漫画雑誌もあったことから傾向を理解することは難しくなかった。リプライツリーに「尊い」とか「続きが読みたい」とかよく分からない漫画のコラ画像がぶら下がっている作品を参考にしていた。そういう人気が得たいわけではなかったが、定期的な趣味としての創作のテーマには悪くないと思っていた。


 何でもないただの土曜日。千春はちょっとした買い物のためにホームで電車を待っていた。都心からはそこそこの距離がある、閑散としたその駅では目的の電車に乗るために少し時間を潰さなければならなかった。いつも通り、ベンチに腰を掛けてスマホに目を落とす。千春はそこまで画面を見るのに集中していたわけではなかったが、その時後ろから近付いてきた存在には話しかけられるまで気づくことができなかった。

「あの、すみません……」

「え? あ、はい」

 着けていたイヤホンを外し、千春は振り返った。そこにいたのは見た目高校生くらいの少女だった。どこにでもいそうな特徴のない顔立ちだが、千春の好みのタイプだった。それに、なぜかどこかで見たことがあるような気がしてならなかった。少女は言葉を続けた。

「あの、片沼千春さん、ですよね……? 覚えてますか?」

 どうやら彼女とは初対面ではないようだ。千春は何とかして思い出そうとしたが、しかしどうしても彼女とどこで出会ったのか思い出せなかった。

「ごめんなさい。思い出せなくて……えっと、どちら様だったっけ……」

 こういう空気を千春は非常に苦手としていた。相手は自分のことを覚えているのに自分は覚えていないというのはとても失礼なことをしている気分になるのだ。だが、このシチュエーションなら覚えてなくても許されるだろうと考え、千春は少女にそうやって尋ねた。彼女は少しショックを受けたような表情をしたが、すぐに繕って返事をした。その様子に千春はまたしても既視感を覚えた。

「すみません。私、高校時代に片沼さんの後輩だったんです。でも直接会話したことは1回しかないので、覚えていなくて当然ですよね」

「あ、そうだったの。ごめんなさい覚えてなくて。えっと、お名前は……」

「……        です」

 目の前のホームに電車が来たせいで、少女の声がうまく聞き取れなかった。聞き返そうかと思ったが、この電車に早く乗らなければいけない。思案する千春に、彼女が再び声を掛けた。

「千春先輩。私、応援してますから。これからも頑張ってくださいね」

「……ありがとう。また会えたらいいね。それじゃ」

 急いで電車に飛び乗り、閉まるドア越しに少女のほうを見た。彼女はずっと千春のことを目で追いかけていた。彼女が見えなくなってから千春は席に座り、再びスマホを開いた。

 いつもの手癖でメモ帳を開いた。その瞬間、千春は先ほどの既視感の原因に気が付いた。

 千春はスマホのメモ帳に創作のためのネタを溜め込んでいた。その中の一つにこんなシチュエーションがあった。


“社会人になり、ひょんなことから高校時代の後輩と再会するすれ違い百合”





 ◇



 次に彼女が現れたのは翌週の平日だった。仕事を終えて帰宅した千春は、自室の鍵が開いていることに気が付いた。家を出る際に鍵を閉め忘れたのかもしれないと思いながら恐る恐る扉を開くと、おいしそうなシチューの匂いが漂ってきた。

「あ、千春さん。お帰りなさい」

「……ちょっと待って」

 エプロン姿の彼女がお出迎えをしてくれた。状況が全く飲み込めない。千春は警察への通報を視野に入れながら、恐る恐る彼女に話しかけた。

「あの、あなたは……」

「あ、申し遅れました。私、千春さんのお父様の再婚の関係で千春さんの義理の妹になったんです。とりあえずご挨拶と、一緒に晩御飯でもと思いまして。もうすぐ出来るのでちょっと待っててくださいね~……」

「……」

 呆然と立ち尽くしていると、バッグの中で千春の携帯が震えた。父親からのメールで、再婚が決まったことと相手方の家族に住所を教えたという内容が示されていた。そもそも両親が離婚していたという事実などなかったはずだが、今の千春は疲れと混乱からまともな判断ができない状態になっていた。そういうものなんだと無理やり納得し、自室で部屋着に着替えて料理の完成を待った。


「千春さん、どうぞ座ってください。お仕事お疲れさまでした」

「ありがとう。じゃあ、いただきます」

 シチューを口に運ぶ。長らくスーパーの半額弁当や冷凍食品ばかりを晩御飯にしていた千春にとって、作り立てで温かみのあるそのシチューは感動的なまでに美味しかった。

「……おいしい」

「本当ですか! ありがとうございます! 私、料理くらいしか取り柄がないから……」

「そんなことないよ、私なんて料理すらここ数年まともに作ってないし。家族と食卓を囲むなんてのも随分久しぶり……
 えっと、妹になったのよね? 全然実感がないんだけど」

「はい! あ、お姉ちゃんって呼んでも……あっ、すいませんいきなり。私、一人っ子だったので兄弟っていうのにちょっと憧れてて……」

「あ、私もそうなの。昔は妹が欲しいって母にせがんだこともあったんだけど、まさかこんな形で叶うことになるとは思ってもなかった」

「じゃあこれからいっぱい姉妹らしいことしましょう、お姉ちゃん!」


 その後も終始彼女のペースで話が進んでいった。仕事がどうとか、休みの日がどうとかいう話をしたり、リビングの机に置いてある漫画を彼女も読んでいたらしく、その話で盛り上がったりもした。

 彼女が後片付けもしておくからと強く主張してきたので、千春は先に風呂に入らせてもらうことにした。お湯張りも事前にしてくれていたようで、こんなに快適な平日の夜は随分久しぶりなように感じた。お湯に浸かって癒されていると、思考能力が回復してきたのか、千春は様々な違和感に気付き始めた。
 まず両親の離婚という事実がおかしい。そんなことがあれば真っ先に情報は入ってくるはずだし、前に帰省した時にもそんなそぶりは全くなかった。というか先週も母親と電話で話したばかりだ。
 次にそれが事実だとして、父親からのメールのタイミングもおかしいだろう。もっと事前に連絡してくれないと、そもそも彼女を招き入れる準備ができない。ここで千春は彼女がどうやってこの部屋に入ったのかという疑問にぶつかった。やはりおかしい。彼女は実は空き巣の類で、今自分が目を離している隙に金品などを盗んでいるのかもしれない。そう思い立った千春はすぐに風呂から上がり、バスタオルを体に巻いてリビングに躍り出た。


 そこには彼女の姿はもう無く、きちんと洗われた食器類と作り置きのシチューのみが残されていた。父親から来ていたはずのメールも痕跡は確認できなかった。




 ◇



 度重なる怪奇現象に、千春の精神は少なからず消耗していった。仕事でも小さなミスが目立ち始め、創作活動のほうも上手くシチュエーションが思い浮かばず迷走気味になっていた。千春は長めの休暇を取り、少し遠くへ旅行することにした。景色のきれいな山間の温泉街だ。また、この旅行でスランプの元を断ち切ろうと考えていた千春は、事前にとある準備を仕込んでいた。


 千春にとって初めての一人旅だったが、下調べもシミュレーションも抜かりはく、無事に温泉宿まで辿り着いた。そして、お出迎えの挨拶に来てくれた仲居の中に、千春は目当ての人物を見つけた。

 部屋に案内してもらい、荷物の整理をした千春は仲居に近くの観光案内を頼めないかお願いした。仲居はひとまず近くの展望台まで千春を連れていくことを了承してくれた。展望台は人気が無く、それでいてこの温泉街を一望できる、千春の思い描いた通りの場所だった。

「それじゃあ改めて聞かせてもらうけど、あなたって、一体何者?」

 千春は考えていた通りの質問を目の前の仲居にぶつけた。何を聞かれているかわからず困惑しているその仲居は、先日ホームで会った後輩と、先日家に押し掛けてきた義理の妹と同じ顔をしていた。

「えっと、質問の意図が……私はそこの旅館の仲居ですが……」

「本当はわかっているでしょう? あなたは、私の創作と関係がある存在なんじゃないかと聞いているの」

 そう言いながら千春は自分のスマホを相手に見せた。そこには創作のためのメモが書かれており、その最新の内容は“温泉宿の仲居が不思議な女性客に徐々に惹かれていく”というものだった。

「自分でこう書くのも恥ずかしいんだけどね。でもあなたならきっと出てきてくれるだろうって、なんとなくそう思ってた」

「……」

 仲居は少し逡巡しているようだった。しばらく沈黙が続いたが、やがて仲居が口を開いた。

「そうですね。まずは、お疲れ様です。ヒルガオ先生」

「……うん、ありがとう。話す気になってくれたのね」

 ヒルガオというのは千春がインターネット上で使用しているハンドルネームだ。それを知っているということは、目の前の少女が千春の創作の関係者だということの自白に他ならなかった。

「じゃあ、改めて。あなたって何者なの? 私の書いたメモに沿って行動しているのって、どういうこと?」

「私はただの仲居です。……いえ、正確に言うなら今の私は、と言うべきでしょうか。
 先生の後輩として現れたのも、妹として現れたのも、私とは別個の存在として考えてください。
 私たちの存在は確かに先生の創作によって生まれたものです。ですが同時に、私たちの今までの生活、人生の一部分を切り取ったものが先生の作品なんです」

「……うん」


 彼女の説明は難解だったが、千春はなんとかその意味を考えた。彼女たちは自分の創作の“世界観”に人格を与えたような存在なのだ。

「私たちが先生とこういった形でコンタクトを取っていることには、深い意味はありません。私は生まれた時からこの街で生活してきて、去年から仲居のバイトをしていて、そこに今日たまたま先生が訪れただけなんです」

「……じゃあ、どうしてあなたは他の自分の存在や私の創作のことを知ってるの?」

「私の存在はそういうものなんだ、という自覚がいつの間にかあったので。先生だってもしかしたら誰かの創造した存在かもしれませんよ」

「えっ?」

「……なんて。冗談です」


 悪戯っぽく笑う少女を前に千春は畏怖の念を感じた。彼女の持つ自我というのは一般的な人のそれとは大きく異なるようだった。


「なので、私から言うことは特にないです。私の人生で一番ドラマチックな瞬間を先生は作品という形で世に送り出してくれているんですから、私は応援してますよ。あ、最近はちょっとスランプ気味なようですけど、そこはぜひうちの温泉で癒されていってください」

「……うん、ありがとう。何とかスランプ、脱出してみせるよ」


 本来もう少し困惑するべきなのかもしれないが、千春は彼女の激励を素直に受け入れた。爽やかな秋の風が2人の髪を揺らした。

「……私の創作のスタイルって、あなたから見てどうなのかな。本当はね、長編を描いてみたりスピンオフを考えたりも少しはしているんだけど、今のTwitterメインの公開だとちょっとね……」

「そうですね……まぁ、どちらでもいいんじゃないでしょうか。私だって先生に知られてないだけで過去に面白いこともありましたし、私が面白いって思わなくても読者の方に受けたりすることもあるかもですからね。ネットで手軽に読める数ページの作品ってだけでかなり制約はありますけど、その分多くの人に見られる可能性があるわけで、SNS時代に適応してるって割り切っちゃっていいと思います」

「ありがとう。ちなみに過去の面白いことっていうのは」

「自分で考えてください、どうせすぐに分かることです」

 創作のネタを彼女自身から聞き出そうとした千春だったが、彼女にはやや食い気味に断られてしまった。やはりズルはできないようだ。千春は少し残念に思ったが、それでも仕方のないことだろうと考え直した。思考停止して彼女自身の人生を聞き出すというのは、もはや自分自身の創作を捨てることと同義なのだ。

 夕暮れが近づいてきた。宿に戻ろうとする彼女に、千春はどうしても聞きたかった問いを投げかけた。

「そういえばあなたって、名前はなんていうの? 私はあなたたちのことを何て呼べばいいのかな?」

 少女は足を止め、振り返った。やはり彼女は千春にとって魅力的な雰囲気を身に纏っていた。

「それは、先生が決めてください。大丈夫ですよ、私たちを何と呼んでも。」



 宿に戻った千春は、それ以降彼女の姿を見ることはなかった。担当の仲居も別の人物にすり替わっていた。だが、目的を十分に達成した千春はそのことをすんなりと受け入れた。






「あっ、先生ずるいですよ。今のはノーカンです」

「何言ってんの。あんたの癖なんてお見通しよ」


 月日は流れ、無事にスランプから脱出した千春は、以前と変わらず趣味の創作活動を続けていた。現在は例の少女とTVゲームで遊んでいる。ちなみに彼女は今回は帰宅途中に橋の下で眠っていたのを拾われてきた、という設定だ。

「はい、私の勝ち。やっぱ息抜きは大切だよね」

「別にいいですけど。ちゃんと創作のほうもしてくださいよ?」

「はいはい。あ、そうだ。ちょっとあなたに伝えたいことがあって」

 一旦ゲームを止めて、千春は冷蔵庫から白い箱を取り出し、机に置いた。少女も一緒に箱の中身をのぞき込む。中身は小さめのホールケーキだった。

「私があなたを創作して今日で1年だったらしいんだよね。だから、誕生日おめでとう。ヒルガオちゃん」


 そう呼ばれた少女は少し驚き、その後照れ臭そうに笑った。

「……ありがとうございます、先生。なんだか、まるで百合漫画みたいな展開ですね」