Lamellar Tear

 レザの生まれた町の近くには“ダンジョン”と呼ばれる謎の建造物があった。夜な夜なダンジョンから魔物が現れ、人々や家畜を襲い、農作物を荒らして回った。町の人々は魔物の脅威に晒されていたが、ただ魔物たちにされるがままの生活を送っていたわけではなかった。体を鍛え、武器を持ち魔物に立ち向かう者もいれば、魔法の技を磨き戦う者もいた。魔物との戦いの日々を経て、町の人々は魔物から身を守るための、戦う力を持つ者を集めた自治組織を生み出した。“自警団”である。
 レザの両親も自警団の人間であった。母親から魔法の才を色濃く受け継いだレザは、幼い頃から周りの子供たちより強い力を行使することができ、成人を迎える頃には自警団の若きホープとして町の期待を集めていた。町の大人の中には「もっと大きな街に出てきちんとした魔法を学んだほうがいい」といった意見を出す者もいたが、彼女は聞く耳を持たなかった。もちろんこの街を守りたいという想いもレザにはあり、人々はレザの故郷愛を嬉しく思っていたが、彼女が町を出なかった理由はもっと別のところにあった。


「いらっしゃいませ……あっ、レザちゃん! 今日もお疲れ様!」
「ありがとうフラム。いつものお願いできる?」
「もちろん! ちょっと待っててね!」

 自警団の活動を終えたレザの行く先は決まっている。町の中の小さな食堂で、甘いお菓子をつまみながら友人と日々の出来事を語り合うのだ。フラムはこの店の看板娘でレザの幼馴染だ。レザとは違って魔物と戦う力を持たないフラムは、実家の食堂を手伝いながらこうしてレザの話し相手になっていた。

「自警団の地力も年々上がってきててね……ダンジョンの内部構造もちょっとずつわかってきてるの」
「そうなんだ! ねね、伝説のお宝は見つかりそうなの?」
「ダンジョンの奥にお宝が眠ってるってやつね。あんなの信じてるのフラムくらいよ? ……でも、遠くの町の別のダンジョンからは魔力を帯びたアイテムが見つかったりしてるらしいわ……このクッキー美味しいわね」
「でしょ! ちょっと苦目にしてみたの。甘いお茶に合うでしょ?」

 フラムと語り合うこの時間はレザにとって憩いの時間であるとともに、建設的な情報共有の機会でもあった。フラムはレザから聞いた情報を店で提供することで冒険者や別の町の自警団といった客層を集めていき、その客から聞き入れた情報をレザに流して自警団の活動に役立てていた。この日もフラムはレザへのとっておきの情報を用意していた。

「聞いた話なんだけどね、王都のほうで勇者召喚の実験やってたって話あったでしょ? あれね、なんとついに成功したらしいの! 変な人らしいんだけど、とっても強くて、いろんな場所のダンジョンに潜って回ってるんだって!」
「へぇ、初耳ね。うちの自警団だって最近になってようやくダンジョン内に踏み込めるようになったっていうのに、それが本当ならその勇者ってとんでもなく強いってことになるわね」
「うんうん! ひょっとしたらこの町にも来てくれるかも! もしそうなったらさ、」
「ダンジョンが踏破されて魔物が出てこなくなる?」
「そうしたらレザちゃんも危険な目に遭わなくなるわけだし、私はそのほうが嬉しいなぁ」
「そっか……」

 レザの心境は複雑だった。確かにフラムの言うことには一理ある。だが、このダンジョンが無くなってしまったら自警団は、この町は、自分は一体どうなってしまうのか。得体の知れない不安がレザを襲っていた。

 次の日から、レザはより多くの時間を鍛錬に使うようになった。フラムの言っていた勇者の話が本当なら、きっとこの町のダンジョンも無くなってしまうのだろう。レザが一晩考えて出した結論は、いっそのこと自分がこのダンジョンを終わらせてやる、といったものだった。もちろんフラムは日に日に窶れていくレザのことを不安に思っていた。だがそれはレザが抱える不安とは比べようのないものであった。


 ある日のダンジョンからの帰り道、レザは怪しげな2人組とすれ違った。片方は見たこともない素材でできた服を着用し、見るからに上等な剣を携えていた。もう片方は神職の女性だ。服装や装飾品を見るからに、王都のほうから来たのだろうということは簡単に分かった。レザはこれまで出会ったどんな魔物よりも2人のことを恐れた。彼らは特にレザのことを気にするでもなく、わあわあと小競り合いをしながらダンジョンのほうに向かっていった。もうすぐ日が暮れるという時間帯で、なおかつ彼らが軽装だったこともあり、彼らは今からダンジョンを潜るわけではないのだろうとレザは考え、フラムの店に寄らずすぐに帰宅し、その夜誰にも告げずに一人でダンジョンに向かっていった。


 フラムがレザの無謀を知ったのは翌日、ダンジョン内で満身創痍で倒れていたレザを勇者たちが保護して町に連れ帰った時だった。


 当然のことながら、自警団のメンバーは口々にレザのことを問い詰めた。なぜわざわざ夜にダンジョンに向かったのか。どうして誰一人として相談をしなかったのか。レザはそれらの質問には黙秘を貫いた。彼女のプライドはもうどうしようもなく砕け散っていたのだ。しかし、まだその誇りの欠片は彼女の手に握られていた。

 自警団のメンバーが彼女のもとから離れ、レザが一人になったタイミングを見計らって、フラムはこっそりと部屋に忍び込んだ。レザはまだベッドの中で塞ぎ込んでいるようだったが、フラムの来訪には気がついたようだった。

「レザちゃん……ごめんね、気づいてあげられなくて……レザちゃんは勇者さんたちがダンジョンを踏破しちゃうことが、怖かったんだよね? 私は自警団じゃないし、戦ったこともないから、ちゃんとはわかってないんだけど……レザちゃんにとってダンジョンはただの魔物を生み出す危険な存在ってわけじゃなかったんだよね?」
「……」
「……お菓子、食べよっか? お茶も持ってきたよ? いらない?」
「……………………いる」

 いつものお店のようにはいかないが、久しぶりに2人の茶会が開かれた。ベッドから出てきたレザの体に残る生々しい傷の数々にフラムは驚いたが、お菓子を食べ始めたレザの憑き物の落ちたような雰囲気にフラムは安心した。ハーブの香りがレザを癒していくようだった。ダンジョンや勇者の話に限らず、2人はいろいろな話をした。こんな時間がずっと続けばいいと、フラムは考えていた。

「そういえばさ、初めてダンジョンの深くまで潜ったんだけどね、中でこんなの見つけちゃったの。フラムに見てほしくて」
「わ、何これ? 手鏡……なのかな? 不思議なデザイン……」
「フラムの欲しがってたお宝ってわけじゃないけどね。よかったらあげるわ。ちょっと不気味かもしれないけど」
「そんなことないよ! わたしレザちゃんから貰ったものだったらなんでも嬉しいもん! 昔レザちゃんが作ってくれたオリジナルのコップだってわたしずっと大事に持ってるんだよ? 水漏れするしやけにギザギザだけど」
「え、あの不良品まだ持ってたの……新しいの買ってあげるから捨てなよそんなの、恥ずかしいよ……」


 レザの傷が癒えるまで、フラムは毎日レザのもとに通い詰めた。レザが怪我でほとんど動けなくなっている間に、勇者たちはダンジョンに潜り、最奥部までたどり着いていた。レザやその他の自警団メンバーは知らないことであったが、ダンジョンの核は一際強い魔物が守っており、核を破壊することでダンジョンは活動を停止するのだ。レザがすっかり元気になるころには、その魔物も勇者によって倒され、ダンジョンは死んでしまっていた。
 自警団は規模を縮小して町の自治組織としての側面を残していたが、多くのメンバーは別の職を見つけて町で生活するか冒険者となって各地の魔物と戦うかの選択を迫られていた。フラムはレザがどういう選択をするのかを不安に思っていた。そして、その不安は現実のものとなる。


「フラム、今までありがとうね。私、町を出ることにしようと思ってるの」


 もしかしたらこうなるかもしれない、とフラムは恐れていた。戦い以外に自分のすべきことがわからない、とか、私はまだ強くなれる気がする、とか、フラムのためにお宝を持って帰ってあげる、とか。フラムがこうなってしまったら嫌だ、と思っていた筋書きの通りの言葉をレザは並べていった。私の望んでいた未来はこうじゃない、と心の中で嘆きながら、フラムは言葉を繋いでいった。町を出るなら一緒に着いていく。戦いはできないけど、いろいろなところでサポートができると思う。レザが傷だらけで発見されたときは本当に怖かったし心配した。また突然レザがいなくなって、わたしのいないところで死んじゃったりしたら絶対に嫌だ。フラムは思いつく限りの理由を並べてレザを引き留めた。だが、そんなことでレザの決心が揺るがないこと、レザはきっとフラムを連れて行ってはくれないこと、それは誰よりもフラム本人が一番わかっていた。レザは不器用で、頑固で、でも決めたことを絶対に成し遂げる強さがある。フラムはレザのそういうところが好きだった。レザは結局フラムの考えた通り、フラムの想い通りにはならなかった。

 だが、実は、フラムの心の中でのレザに対する想いや葛藤に耳を傾ける者がいた。


 一般に魔物と言われるものは、実は大きく2種類に分けることができる。もともとこの世界に存在していた物質や生物が、濃い魔力に長期間晒されたり、または別の魔物の影響によって変質したもの。これは後に下級魔物と分類される。そして、上級魔物というのが、この世の裏側、根本的にこの世界とは違う世界を生きる“本物”の魔物である。上級魔物は数が少なく、また理を異とするこの世界には基本的には干渉する手段を持たない。辛うじて存在を留められるのがダンジョンの深部であり、ダンジョンはそうした上級魔物の住処なのだ。彼らはそこで下級魔物を生み出しながら生き、いつか地上に出られる日を待ち望んでいた。
 上級魔物は人間が持つ特殊な魔力について研究を進めており、それが“感情”や“記憶”、“言葉”と密接な関係があることに気がついていた。上級魔物の中には自ら人間の言葉や感情を模倣し、その力を得られないか模索している者もいた。彼は魔界から人間界へコンタクトを取るために、手鏡のような魔具を使用していた。

 その夜、レザは強大な魔力の存在を感知した。レザのように強い魔力を持つ人間は、他の魔力の動きも機敏に捉えることができた。その発生源がフラムの家であることを、レザは感覚で理解できても頭では全く理解できなかった。とにかく大急ぎでフラムの食堂に向かい、扉を破壊し、部屋に押し入った。

 そこにははもう、フラムはいなかった。正確には、そこにいたのはもはやフラムではない存在だった。
 闇を体現するような漆黒の影は周囲に強大な魔力を発し続けている。レザは警戒を強めながら、必死に呼びかけた。

「フラム!? フラムなの!?」
「……」

 返事はないが、反応はあった。これがただの魔物ならレザの存在に気付くや否やすぐに攻撃を仕掛けてくるだろう。そうしないところを見るに、レザは再び声を投げた。

「フラムなの!? 返事をして!! 一体何が起こってるの!? ……!?」

 やはり返事はないが、レザは目の前の存在からフラムを感じ取った。フラムの声、想いが朧気にレザに伝わってくる。その感情は決して負のものではなく、むしろ深い愛情や憧憬のようなものであった。レザは戸惑いながら、一歩、また一歩と歩みを寄せた。そして、2人の距離はついには0となった。


 フラムが悪魔との取引のために捨てた代償は大きかった。現在彼女の存在は、レザの心臓に繋ぎ止められている。フラムはレザの魔力の循環を直に感じるとともに、その鼓動の強さを自らの力に変えているのだ。フラムはレザの一番近くで共に戦うことが叶った。

 勇者たちは次々にダンジョンを踏破しているそうだが、どうやらダンジョンの奥から魔界に乗り込み、魔王と呼ばれる存在を倒そうとしているらしい。レザは勇者に恨みがあるわけではないが、勇者より先に魔王を倒してやることを考え、その日を待ち望みながら様々なダンジョンへと向かっていった。

 今のレザなら、きっと無敵だ。