日曜日

 文章を書く練習をしました。



 一人暮らしをすると、「一人」が浮き彫りになる。

 実家で生活していた学生時代も、全く家から出ない一日というのは珍しくなかった。それでも、その生活の中には家族との会話があり、家族が何をしているのかをある程度把握する機会があった。
 クソみたいだ、と思っていた。
 一人暮らしで部屋から出なければ、まず会話がない。そもそも音がない。あるのは付けっぱなしの扇風機のモーター音と、マンションに隣接する国道を走り抜ける車の音だけだ。そういう環境音が生活にどう影響するか、といった似非科学じみた話をしたいわけではない。ただ、この環境では生活が「一人」なのだ。

 今日は朝から少し用事があったが、9時過ぎには帰宅して二度寝をしていた。起きたら13時だ。しばらくTwitterを見て、その他インターネットを見て、15時ごろにカップ焼きそばを作って食べた。ちなみにキッチンにはあとで片づける用の箱を放置していたので、それを別の場所に移動させた。鍋は昨日買ってきたのですぐ見つかったが、箸もすぐ見つかったが、スポンジが現在進行形で見つかっていない。画面から顔を上げて部屋を見渡せば未だ片づけていない問題が山積みになっている。明日は冷蔵庫を設置しにこの部屋に人がやってくる。片づけをしなければならない。これを先にやってしまうか、それとも後回しにしてブログを書くか。こういったところで「一人」が試されていると思う。

 そのあと二度寝をした。違った、三度寝か。起きたら19時ごろだっただろうか。画面の隅の小さな時計と、荷物に埋もれた小さな目覚まし時計しか存在していないこの部屋では、人間は容易に時間感覚を失う。外を見るといつもの人通りのない国道が広がっていたが、雨は降っていなかった。今日は天気予報では時間50ミリの大雨のはずで、だからこうして一日引き籠る構えを取っていたのだが、これは大きな失敗だったかもしれない。晴れていれば外出ができる。特に目的はないのだが。(それはそれとしてベッドが欲しい。寝床の下に収納スペースがあると嬉しいのだ)
 夢の内容はここでは詳しく書かないが楽しい夢だった。前半部分はかなり物語性が強く、後半ではそれが面白かったことをインターネットの人たちに広めるという内容だった。実在する人が夢に出てくると起きた後その人が今何をしているのか気になってしまう(正確には夢と現実の境界が曖昧になっていて、夢が夢だったことを確認するための作業なのだろう)。やっぱりその人たちは普通の生活を送っていた。夢の内容を140字で纏めてインターネットに放流することは簡単だ。だが、そうはしなかった。なんとなく空しくなったからだ。
 部屋の片づけをそこそこに終わらせ、いくつかの段ボールを解体した。まだ段ボールはたくさんあるが、ひとまずの机や棚、引き出しなどの代用品として残している。とはいえ、家具を買うのは面倒だ。段ボールたちが仮初の役割から解放される日は来るのだろうか。今の文章はちょっと気取りすぎていたな。

 なんとなく外に出て見たくなった。ジャージにクロックスという標準装備だ。
 雨上がりの夜の街というのは嫌いではない。そもそもの話、知らない街を歩くのは好きだ。人通りも少なく、無駄に広い歩道や車道を通り抜けてふらふらと歩く。うどん屋を見つけた。自宅にはまだインスタント麺の備えがあるが、なんとなく入ってみた。ざるうどんと卵丼のセットを注文した。自炊すればだいたいいくらになるだろうな、という不毛な計算をしながら630円を支払った。冷凍うどんは安い。家に冷凍庫は無い。卵もスーパーで安価で手に入る。家に冷蔵庫は無い。
 帰りにスーパーに寄った。明日から自炊することを考え、米と卵とめんつゆを買った。卵は実は常温でも大丈夫なのだ。めんつゆは言わずと知れた万能調味料だ。味覇は手に入らなかった。残念極まりない。食器用のスポンジも購入した。行方不明になってしまった前のスポンジのことを考え、そっと手を合わせた。南無。

 ここまで書いてみたが、やはりPCのある生活をするにおいて最低限座椅子とローテーブルは必要であると痛感している。


 終わり。文章書くの上手くなりてぇ……