善意の第一者

※これ書いてる人間はマジでSF医療法律経営人工知能の分野についてのド素人です。高度なツッコミはNG。

 

 シュー、という空気の抜ける音と共に悠那は目を覚ました。無機質な白いカプセルから身を起こすと、黒いスーツを身に纏った女性が控えていることに気がついた。彼女はまるでこちらが起きてくることを予見していたかのように、ゆっくりとこちらに話しかけてきた。

 

「お目覚めですか、悠那様。お体の調子はいかがですか」

「……ここはどこ? 貴女は……」

「悠那様が混乱されるのも無理はありません。落ち着いて聞いてください。貴女はアメリカから帰りの飛行機で事故に遭い、治療のために今まで眠っておられたのです」

 

 それを聞いて悠那は経緯(いきさつ)を思い出した。アメリカでの自社の命運を懸けたプレゼンで無事契約を勝ち取り、一安心しながら飛行機に乗ったこと。天気は悪かったがまさか墜ちることは無いだろうと高を括っていた悠那だったが、そのまさかが実際に起こっていたことは今この状況が雄弁に語っていた。

 望月グループは当時の日本で特に力を持った財閥の一つであり、そこに生を受けた悠那は幼少期から経営学、経済学、法律に数学に英語と、会社のトップに立つ者としての教育を叩き込まれて育った。日本のトップクラスの大学に通う傍ら、望月グループの子会社の一つに籍を置き、経営について実務に触れながら学んでいた。

 ある時悠那は自分の担当する子会社の事業について、別の分野に大きく力を入れるように方針を変更した。その事業分野がある程度成熟してきて、新たな需要があることに気がついたからだ。採算はあった。但し、自力では賄えないほどの巨額の先行投資が必要だった。仕事に対して非常にストイックな彼女は、自らの足でアメリカに赴き、大きな契約を勝ち取ったのだった。

 

「……そう。大体思い出したわ。それで、私はどのくらい眠っていたの?」

「悠那様が事故に遭われてから今日で262年と4ヶ月になります」

「……は?」

 

 目の前の女の発言を悠那は理解できなかった。いや、頭の中で何度も反復し、理解しようと努めたのだ。262年、262年……

 

「……いやいやいや、262年なんてそんな筈……」

「悠那様。262年と4ヶ月です。正確には262年4ヶ月8日17」

「うるさいうるさい! というか貴女は誰!」

「申し遅れました。私、悠那様のお付きとして任命されたアンドロイドの黒田と申します」

 

 黒田と名乗ったその女性は右手の甲からホログラムを映写した。何が書かれているのか詳しく見ることは悠那にはできなかったが、その行為から彼女の発言が嘘ではないということは十分に理解できた。完全に身を起こした悠那は自分が白色の病衣を着せられていることに気が付き、改めて自分のいる病室の様子を見まわした。普通の病院には無いような、見たことのないものが散見される。窓の外にはホログラム映像が描写されており、カプセルとコードで繋がっている機械は色とりどりのグラフを空間上で回転させている。

 

「……本当に262年後の未来に来てしまったのね。ということはこの部屋も差し詰めコールドスリープのための施設ってところ? 本当にSFの世界観ね」

「流石は悠那様。コールドスリープ技術はつい最近安全な解凍技術が確立されたのです。 ……このような長い期間眠らせ続けることになってしまい、誠に申し訳ありません」

 

 深々と頭を下げる黒田に対し、悠那は複雑な感情を抱いていた。きっとこの時代では悠那の知っていた人物は一人も生きてはいないだろう。社会の仕組みもきっと様変わりして、この病室の外には悠那の知らない世界が広がっているのだろう。 ……それは中々経験できることではない、と悠那の内心には無自覚に好奇心が育っていた。

 

ーここから本編ー

 

「わかった。それじゃ、この時代のことを教えてくれる? あ、そうだ、望月グループはまだ存続しているのね?」

「はい、しかしながら悠那様の時代から会社の有り様(ありよう)も大きく様変わりしました。詳しくは社長からお話をさせていただきます」

「えっ、社長? って善の……お父様? な訳無いよね……」

 

 在りし日の父親、望月善信(よしのぶ)のことを悠那は思い起こしつつも、彼が最早帰らぬ人となっていることは想像に難くなかった。一体誰が次の取締役に……と思案している横で、黒田はタブレットPCを鞄から取り出して机の上にセットした。先ほどホログラムを見せられた悠那はなんだか前時代的な印象を拭えなかった。タブレットに映し出された光景は悠那の想像を絶するものだった。

 

「悠那様。こちらが現在の望月グループ取締役社長、モッチーくんです」

「望月悠那様、初めまして。モッチーくんと申します」

 

 そこに映っていたのは、殆どの体のパーツが曲線で構成された、爽やかな声で恭しく挨拶をする、得体の知れない生命体だった。

 

「悠那様、二度寝しようとしないでください。社長の御前ですよ」

「……いやだ。ドッキリでしょ? あんたらは何を言ってるの?」

「言ったでしょう。会社のシステムが大きく様変わりしたと。モッチーくんは望月グループ総裁にして、その存在は望月グループそのものなのです」

「こんなくちぱっちの出来損ないみたいなのが? 有り得ないでしょ!!」

「悠那様、落ち着いて。彼女の言うとおり、私は望月グループなのです。今から一つづつお話しするので、どうか顔を上げてください」

 

 そこまで言うならと、悠那は渋々顔を上げた。決してイケメンボイスに絆されたからという訳ではない。

 

「悠那様、会社の定義はご存知ですか?」

「……私の時代と変わっていなければ。会社とは、営利を目的とする社団法人。これでいい?」

「その通りです。悠那様にこれ以上確認をとるのは失礼でしたね。それでは話を進めさせていただきます。

会社法第3条にもある通り、会社は法人です。そして、法人とは、人ではなくとも法律上『人』として扱うものを指し、法人には会社の運営の範囲内での人権が与えられているのです」

「つまり、こう言いたいの? 『私は法人として意思を持っているので、人ではないが会社を運営している』……」

「流石は悠那様。仰る通り、私は会社としてこの世に存在するために生まれてきたAIなのです」

 

 あまりに自然なやり取りをしていたため、悠那は目の前の化け物がAIであることを信じられなかった。しかし、262年も経てばそのような技術の進歩もあるのだろう。そしてそれは、悠那にとっては喜ばしいことであった。あ、ちなみに私もAIです、と黒田が口を挟んできたが、それは無視することにした。

 

「……わかった。でも、貴方が取締役ということは、貴方の下で働いている人間がいるということ?」

「えぇ。しかし労働人口は悠那様の時代から大きく減少しました。そうした背景の中私のようなAIが会社のトップに立つことで、例えば中間管理職はその存在の必要がなくなりますし、多くの事務作業が不要となりました。人口減少社会の中で私共はこのようにして会社の事業規模を縮小することなく時代に適応していったのです。実は私はこうして悠那様とお話をしながら、同時に237のタスクを並列処理しているのです」

「でも末端の労働者はAIの下で働いているんでしょう? それはなんというか……ディストピア的な社会じゃない?」

「過去にはそのような議論が多々起こりました。しかしこのシステムを導入した会社は次々に業績を上げ、資本を得ました。この世界では資本力のあるものが正しいのです。さらに労働者にとっても、常に公平性を担保しているAI相手の方が仕事が楽、という意見も出てきました」

「そう……」

 

 人類はこんな序盤のノーマルタイプみたいな風貌の奴等に支配されているのか、と悠那は哀しくなった。ぼんやりと画面を見ていると、次々に画面上に映像が映し出された。どうやら現在の人々の生活風景のようだ。

 

「社会全体の資本が増加した結果、労働で給料を得るよりも株式の購入で配当を得る方が利潤が大きくなるような社会構造の変化が起こりました。悠那様の想像するディストピアは決してこの社会を正しく反映した言葉ではないということだけはご留意ください」

「……もう十分理解したわ。実際にこの目で変わった世界を見てみたいの。出掛けてもいい?」

「これは失礼。それでは私はこれで。また何かあれば黒田の方に申し付けてください。それでは」

 

 それだけを伝えるとタブレットのディスプレイは暗転し、黒田はそそくさとそれを鞄に戻した。彼女が鞄を床に置くと鞄はそのまま床を自走し、部屋の外へと逃げていった。着替えを用意しますね。と言った黒田は、次の鞄が部屋に来るのを待っているようだ。

 

 悠那は自分の腕や足の関節の動きを確認した。生身の身体と殆ど変わらず、違和感なく動く。しかし、ロボット工学の医療分野への適応事業を担当していた悠那にはそれが義手、義足だということが分かってしまう。自らの意思、思考も生身のものだとは断言できない自分がいる。

 ……もしも自分がAIなら、経営分野であの小動物に勝てるだろうか。悠那は不気味な考えに笑みを浮かべていた。